総勢12万の幕府軍と
37,000人の農民らが
壮絶な攻防戦を
繰り広げた
『島原の乱』
昔、『歴史』の授業では
『幕府によるキリシタン弾圧』
と簡潔に学んだ記憶
しかなく、
『カトリック』と
『プロテスタント』の
代理戦争というトンデモ説、
『戦国時代の終結』、
『圧政に対する一揆』など
複雑な側面があるのだと
今回、
改めて学びました🤔
(写真資料 天草四郎ミュージアム)
乱の前後、長崎では
キリシタン弾圧が過酷を極め、
彼らは『潜伏』という
手段を取りました。
そのあたりを描いた映画が
『沈黙・サイレンス』です。
こちらは基本的にフィクションですが
当時の様子がうかがえます。
お時間があればどうぞ😆
https://youtu.be/0cUtOR-DL1A
さて「島原弾丸ツアー」も
大詰めを迎えました😁😩
『雲仙』といえば『普賢岳』。
『普賢岳』といえば
記憶に新しいのが
『火砕流』
平成元年の群発地震に始まり、
平成2年には2か所より
噴煙が立ち上り噴火🌋
そのまま終息するかと思われたが、
平成3年2月に再噴火🌋
5月には降り積もった火山灰による
最初の土石流が発生。
火口周辺に溶岩ドームが形成された。
新しく供給されるマグマに
押し出された溶岩ドームが
山の斜面を崩落し始める。
その破片が火山ガスとともに
時速100kmものスピードで
流れ下る『火砕流」と呼ばれる
現象を引き起こした。
(写真資料 がまだすドーム)
その資料が見られるので
訪問したところが
『南島原市
深江埋蔵文化財・
噴火災害資料館』
(ナビに従って行くと「通行止め」😵
さらに迷走しながらも
何とかたどり着く)
😅😁😩
(看板のズレはGoogle mapのエラー)
同様の資料展示は
『雲仙岳災害記念館』
雲仙岳災害記念館(がまだすドーム)ホームページ
の方が規模は大きいのですが、
先にこちらにへ来ました。
理由は、、、
後述します😓
車🚗で中にに入ろうとすると
水撒きされていた方が
「向かいに停めて」と。
向かい側は
『大野木場監視所』に
なってるけど良いのかな?
良いのでしょう、
気にせず駐車😆
入館料は200円。
例によって
「消毒・住所氏名記載」
館内、そんなに広くはありませんが、
『雲仙普賢岳』の
噴火災害に関するパネル展示と、
『考古資料』の展示があります。
「稲作は弥生時代から」の
定説に一石を投じた、
(発掘土器にモミガラが付いていた)
縄文時代後期の
『山ノ寺梶木遺跡』
の資料は大変貴重です。
客は私一人ですが、
先ほどの水撒きおじさんが
資料解説を始められました😲
この方も、、、
『語り部』さんのようです😆
(イメージ画 青山剛昌
実際はもう少し年配で
ヒゲもありません😅)
🕵️♂️どちらから?🕵️♂️
😲大阪の守口からです😲
🕵️♂️京阪沿線だ🕵️♂️
😳よくご存知で、、、😳
みたいな会話しながら
資料を見て廻ります。
🕵️♂️平成の普賢岳噴火は
5年以上続きましたが、
一般の方で亡くなった方は
いません。
40人以上の犠牲者の内、
大半が報道・防災関係者です🕵️♂️
『火砕流』が世界で初めて
鮮明な映像として記録された。
https://youtu.be/r0gFFJUsIrE
🕵️♂️【島原大変肥後迷惑】
一番大きな噴火被害は
1792年のもので
(江戸中期・寛政の改革中)
崩れた眉山が海へ沈み込み
『島原大変』
(崩壊した山が通った跡に
森ができている)
発生した津波が
対岸の「肥後 熊本県」に
押し寄せた。
『肥後迷惑』
津波の高さは最大50m超、
折り返し津波も発生。
犠牲者は双方で
合計1万5千人以上🕵️♂️
🕵️♂️マグマだまりは半島西側の
橘湾の地下にあり、
その熱が湧水を温めて
熱源に近いところから
高温の『小浜温泉♨️』
中温の『雲仙温泉♨️』
低温の『島原温泉♨️』と
なっている🕵️♂️
などなど、
こちらでも貴重なお話を
聞かせていただきました。
にもかかわらず、
お名前・写真もありません、
この場でお詫び、
お礼させていただきます。
🙇♂️🙇♂️🙇♂️🙇♂️🙇♂️🙇♂️🙇♂️😭
実は車🚗を停めた
「大野木場監視所」の横には
『旧深江町立
大野木場小学校
被災校舎』
があり、
それを見るため
先にこちらに来ました。
(火砕流による熱風で全焼した校舎)
(人的被害は無かったものの)
(まるで戦後のような状態です)
(視聴覚室か?テレビ台が残る)
(写真パネルが立ってます)
(校庭の遊具も被災)
(後方に見えるのが平成溶岩ドーム)
自然の脅威を見せつけられます😱
実は隣の
『大野木場監視所』2階には
小学校の被災品などが
展示されているようです。😲
時間が無いので今回は
スルー😩😩😭
では、
語り部さんに教えていただいた
近道を通って🚗
本日最後の目的地
『島原城』
へ向かいます!
(普賢岳頂上より平成溶岩ドームの方が高くなっているそうです)
(まだ薄っすらと噴煙が見えます)
(土石流・火砕流の痕跡が残っている)
(街の手前で止まったそうです)
イヤー、😩
時間が、時間が、、、😓
想定以上に時間が押してる😂
🌮ランチもできてない😭
「何故か?」わかっているけど
ヤボは言わない😅🥸🕵️♂️
『島原城』の駐車場に着いたのは
午後5時でした。
(係の方と会話)
😲もう終わり?😲
🤠5時半までやし、
ギリギリかな?🤠
写真だけでも撮りたかったので
敷地内に入る事にしました😆
それでも駐車場代が必要、330円でした😭
(お城の下が駐車場というのは珍しい)
受付の所まで行くと
着飾ったお姉さん方がいました。
せっかくなので、
ポーズを取ってもらいました😆
後で調べたら
キャンペーンで
コスプレをしているみたいです😆
(お姉さんとの会話)
😲もう終わりですよね?😲
👱♀️城内は観覧は6時までですよ。
今は空いてるし
十分見れますよ笑👱♀️
というわけで
さらに入城料550円也😂
鉄筋コンクリート5階建てで
城内は博物館となっています。
最上階は展望室です。
エレベーター🛗はありません😭😭😭
(雲仙に夕陽が沈む)
(島原市街)
お城は、
明治の「廃城令」で廃棄され
その後、畑や学校等になったが
1964年(昭和39年)、
🏯復元されました。
🕵️♂️復元された城は
昔のものよりひとまわり小さい。
コンクリート造による重量増に
本丸土台が耐えられないので🕵️♂️
だそうです😲
収蔵品はいろいろありますが、
みな、くすぶって見えます。
古い当時のままで
保存されているからでしょうが、
どうなんでしょう?
写真に撮れなかったのですが
城下の再現ジオラマが
大変素晴らしかったです😲😲😲
確か中学生によるものだったと。
(マリア観音
潜伏時には取り締まりの目を
ごまかす手法がとられました)
時間が無かったので、
あっという間に駆け抜けました😅😆
という所で、本日の予定終了!
帰る事にしましょう😲
帰路の🚗車中で
一日を振り返りながら
BGMを♪
https://youtu.be/5ru4xNo051g
『旅の途中』(清浦夏実)
『諫早』でレンタカーを返して
時計🕰を見ると
18時30分!
お腹が空いた😂
晩ご飯食べる所はないか?
無い😂無い😂無い😂
居酒屋はあるが、
腹持ちしそうな食事は望めない、、
結局開いていた『フレンドリー』へ。
🍱普段と変わらぬ定食を食す😂
食べながら『宿』と
電車🚃の時刻表を検索。
宿は素泊まりが
安くても4,000円超え😵
さすがにもったいないので
電車🚃を調べると
何故か「普通や快速」が無く、
「特急」利用が必然になってる😳
特急料金1,250円加算で
3,420円となる😡
だが、、、
仕方なくそれで帰ることに😢
(特急かもめ Wikipedia)
車内は快適、客はまばら😳
フットレスト(足乗せ)や
リクライニング、テーブルなど
装備も充実しているが、
リラックスしすぎると
寝過ごす心配があるので、、、😢
『鳥栖』で「普通」に乗り換え、
出発駅の『弥生が丘』到着。
トラックステーションの
自車🚚に着いたのは
22時頃🕙でした。😪
各自治体が創意工夫して💦
資料の収集や展示で、
集客を図っているようですが
コロナ禍の中、
また平日でもあって
ほとんど無観客状態でした😩😢🥺
『日本人』として生まれたなら
是非一度は見聞きすべき
先人達の歴史が全国にあります。
後世に語り継がれることを
切に希望します😌
仕事明けの朝から
約17時間、
急な思いつき企画で
食事🍖も満足に楽しめず、、
立ち寄れなかった所もありますが
何とかツアーも無事終了!!🤗🎉
ここまで
お付き合いいただき
ありがとうございました🙇♂
さて〈予告〉を😲
『九州一人・
山鹿行ったモン!』
coming soon!
乞うご期待😁😁😁
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