東京(江戸)幕末史跡巡り 後編

『東京(江戸)幕末史跡巡り』

    の後編』スタート‼️

 

 

武士たちは

道場で剣の腕を磨いていましたが、

お偉いさんたち

いろいろ知恵を絞っていました。😄

 

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一昨年の『ぶらり伊豆ブログ』で取り上げましたが

老中首座の阿部正弘は、

江戸の防衛建議書を出した伊豆代官江川英龍に命じ

品川沖に台場を建設させます。

 

(YouTubeより引用)

 

砲台は 全方向に攻撃が出来るよう設計された。

(品川区資料)

 

YouTubeより引用)

木材は関東各地から、石材は伊豆などから海上で運ばれた。

 

翌年、ペリーが再来航した時には

築かれた『台場』に驚き、江戸上陸をあきらめ 

横浜まで戻ったそうだ。🙌🙌🙌

 

しかし 数年後には工事も中断、

大砲は一度も火を噴くなく『明治』を迎えた。

 

後年、『台場』は民間などに払い下げられ

やがて 埋め立てられ姿を消していった。😭

YouTubeより引用)

 

現在 姿を確認できるのは第六台場(立ち入り禁止💦)

 

そして公園として整備されている第三台場のみです。

結構広いのがわかります。

 

レプリカ砲台(当時の物と全然違うらしい😵)

 

 

今は跡形もないですが、

第二台場の出来事です。

 

完成間もないころ、安政地震が発生。

『第二台場』に詰めていた会津藩士達が

倒壊した建屋に取り残された

その後火災が発生

 

砲台だけに 

保管する大量の火薬への誘爆が懸念され

助けることもままならず、

多くの藩士達が犠牲となった。

     合掌🙏

 

 

御殿山下台場は陸続きで建てられ

その輪郭跡が道路として整備されています。

歴史の資料が校庭にある😄

 




浜川砲台

 

『台場』が昼夜突貫で建設されている頃、

土佐藩は幕府に申し出て

屋敷の敷地内で海に面する場所へ

砲台』を建設しました。

 

その近くに作られた『新浜川公園』には

大砲のレプリカが設置されています。

 

当時、『千葉定吉道場』で剣術修行していた

若き坂本龍馬は、

この砲台の警護をしていたと言われています。



 

『黒船来航』から数年後、

筆頭老中『井伊直弼

開国後の不安定な政情の中で

徳川幕府復権をかけて

反対勢力『一橋派』を徹底弾圧します。

それが安政の大獄と言われています。

 

後の日本に大きく影響した事件であり、

複雑な背景は 簡単に解説できないので

こちらなどを参照してください💁

安政の大獄ってなんのこと? − 日本史用語集

 

捕縛された人達が収容されていたのが

伝馬町牢屋敷

 

精巧なジオラマがありました😳

『拷問蔵』があります😨

足元のガラス越しに遺跡が見れます🤔

 

この資料館は十思公園(じっしこうえん)に接しています。

 

公園内に、この獄で処刑された

吉田松陰(よしだしょういん)』の鎮魂碑があります😨

吉田 松陰(よしだ しょういん) | 人物編 | 中高生のための幕末・明治の日本の歴史事典

                  合掌🙏

 

 

『江戸』町内の 司法行政警察を担っていたのが

町奉行

🌸🌸🌸有名なのは「遠山の金さん」こと

   『遠山左衛門尉景元』🌸🌸🌸

遠山景元 - Wikipedia

何も無いよりはマシか😩

この奥になります😅


そして

南町奉行所

有名なのは、

大岡越前」こと大岡忠相

https://www.touken-world.jp/tips/44336/

 

「必殺仕事人」の中村主水(なかむらもんど)』😩



発掘された石材はベンチに😩

(松竹株式会社 より)


という事で

そろそろ終わりとしたい所ですが、

 

  まだ続きます😆

 

東京(江戸)幕末史跡巡り  明治編

       よろしくです😄